くせ
時々、突発的に全てを消したくなる。
――というと「通報しますた」となるので誤解のないように書けば、
例えば、この日記。
何度全消し、全削除しようと思ったか分かりません。
その度に友人の一声で寸前で踏みとどまり、
「やっぱり続けるべき…なのかな」と思ったりの繰り返し。
私にとって過去っていうのは、「耐え難い恥」でしかない。
だから、過去の延長線上としての現在、その延長線上としての未来、
そういうものを実感することを目的として日記を書いています。
(つまり、自分語りになるのは当然の帰結)
しかし、実感を待ちきれなくなるときがある。
恐らく何らかの精神的不安定さの転嫁っていう意味合いもあるのでしょうが、
とにかく過去の自分に対して極めて強い嫌悪感を感じて、
その連続したものの固まりである現在の自分はというと、完全に身動きが取れなくなってしまう。
ただ一つだけやれることは、恥の全消去、つまり日記自体の削除なんですよね。
もちろん、それをやったところで何も変わりません。
だから「戒め」だと思ってやってきたのだけれど、
つい最近になって、それでは乗り切れない事態になってしまった。
そこで救われたのが、マリみてという小説。
マリみては単なる小説ですから、それ自体では何の意味も価値もありません。
例え的はずれでも良いからそこに価値を見出すのはやはり人間の側。
だから、「つまんねー小説」で終わっても一向に構わない。
万物にとって有り難い存在というのは、自然くらいしかありません。
私がこの小説に価値を見出したのは、人間と人間の間にあるものの価値、の一言。
抽象的に言えば、人間とは何か、ということで、
具体的に言えば、人と人との繋がりの大切さ、ということです。
そこから交友関係に空想の範囲を拡げ、未解決の山積した問題の解決を図る、
私の取った行動を分析すれば、こういうことになります。
人と人との繋がりっていうのは、私にはどう考えても苦にしか思えなかった。
友達から発生したものなら全然平気なんですけど、
それが私から発生したものだと、もの凄い負担になってしまう。
そういうものが、マリみてを読んだ後に、スッと解けてしまいました。
なるほど、誰かに影響を及ぼしうる存在でいいのか、と。
そこにある責任は全て自分にあると思っていたから辛かったのだ、っていう。
人間っていうのは個体としてではなく総体として繋がってる存在で、
だからこそ影響を及ぼしうるわけで、いかなるモノも最初から介在する余地はありません。
つまり、責任は存在しえないっていうことに気付かされたのです。
分かりやすくいえば、人類皆兄弟、ってことですけど、
いまさらこんなことに気付くなんて…orz
まあ、でも、いまさらながらでも、気付けて良かったです。