急ぐ性

読書をしながら紅茶(ストレートティー)を飲むのが好きです。
マリみてでお茶のシーンが展開されると無性に飲みたくなるっていう、
まあ、それだけなんですけど、最近しみじみと「幸せだなぁ」と思います。
というのも、2年前の夏からは想像もできないことだからです。


コップ1杯の三分の1程度に注いだ水、それを飲むのに冗談でも何でもなく、1時間かかってました。
胃が受け付けないというか、もう常時得体の知れない吐き気に悩まされていたので、
口に水を含んで、それを食堂から胃に流すっていう行為が一苦労。


ご飯が食べれなくなったのは、6月くらいでしょうか。
1日1食だったのが、半食になり、次第に水だけになったっていう。
そのかわり薬の量が増えました。
急性胃潰瘍とかで救急車で運ばれる際に注射で打たれる「ブスコバン」という薬がありますが、
あれを学校行く前と授業の時間毎に、んで帰ってきてから何錠か。
「一日1錠、3錠までが限度」って箱の裏に書かれてありますけど、
とてもじゃないけどそんなのでは身体が持ちませんでした。


だから、餓死する人の話を聞くと、よく分かるんですよね。
人間は体力があるから食べられるっていう。
「食べたくない」っていうのは全然元気なんです。
ある時から食欲自体がなくなるので、自然と食べるのを忘れてしまう、そんな感じ。


それを過ぎると、今度は睡眠欲がなくなってしまいます。
人間は体力があるから眠れるんだと、思いました。
眠ることによって体力はある程度回復しますので、そうなれば悪循環です。
食べれない、眠れない、個体生命を維持できるはずがありません。


7月で前期試験が始まると、テストを受けるのがやっとって感じです。
いや、学校まで死ぬ思いで来たのはいいけれど、教室の前まで来て引き返したことが何度も。
試験を受けさえすれば単位取れるのに、身体は許してくれない。
自己嫌悪の猛烈な嵐は酷くなる一方。


栄養ドリンクを水代わりに1mmずつ無理して何とか流し込みながらテスト期間終了。
「死ぬ」っていう生命的な警報か、それとも誰かにすがりたいっていう叫びなのか、
もはや一人で帰省するのは不可能だったので「あいつ(弟)が暇なら、ちょっとよこしてくれ」
と実家に電話したら、その4時間後には目の前に母が。
お互いにビックリしましたけど、私より母の方が驚いてる様子。
心配させまいと、元気だ、元気だ、と言っていた身長170cmの私が、
体重:40kgを切ろうとしてたのだから、痩せ方は普通じゃないわな(笑)。


まあ、でも、最後の最後で本当にどうしようもなくなったら、
誰かにすがることはひょっとしたら悪くないことなのかもしれない、
と、涙を流し続ける母に抱きかかえられながら思ったのでした。


それから考えると、まさか2年後に小説読みながら紅茶飲めるとは思ってもみませんでした。
何か食べられる日常、何か飲める日常、眠れる日常、普通の日常。
幸せだなぁ、と思います。