ボンボン

白色のキャデラック。
「定員:大人6名」の大きくてゆったりとした車が大好きだった。
バス通園が基本だが、それに乗り遅れたら両親のどちらかが送ってくれる。
だから、私は”わざと”乗り遅れるように、あの手この手を使った。


いつものように幼稚園に横付けされた車から降りると、
同じクラスのMちゃんが、遠くから私を見ているのに気付いた。
門をくぐって傍まで行って「おはよう」というと、
Mちゃんは「やっぱりお金持ちね」といった。


(今考えるとどこで覚えてきたのか)数日後「ボンボン」という言葉が流行った。
もちろん、私に向けての言葉である。
母に聞いて意味を知ると、腹の奥から怒りが込み上げてきた。
と同時に無性に悲しくなって泣いてしまった。
そして、翌日から大好きな車で通うことは一切なくなった。


――こんなことあったなぁ、と、『マリア様がみてる / ウァレンティーヌスの贈り物(後編)』
の祥子さまの過去を読んで思い出しました。
なんだ、祥子さまも私も同じじゃないか、と。
いうまでもなく資産の規模も容姿も圧倒的に違いますけどね。


小学校に入ると、心機一転、馬鹿にされるような振る舞いはやめようと決心した。
だから、入学して間もない頃Fさんに「お金持ち」と言われたときのショックは大きかった。
何も変わらない日常、時々馬鹿にされる日常、それが全部イヤになって、
同じ小学校から2〜3人しかいかない遠くの中学に入学することに決めた。
しかし、まだまだ新入生な5月、早くも私は「お金持ち」になっていた。


中学2年の時、リビングで父が車のカタログを見ていた。
高そうな外車ばかりが並んでいた。
「外車は嫌い。乗り心地悪いから。国産が良いよ」と私が言うと、
父は「なんだ、小さい頃はあんなに外車好きだったのに」と笑った。
何週間か後、うちの車庫に新しい国産車が停まっているのを見て、私は嬉しくなった。


中学3年の冬、大事な忘れ物をしたので母に持ってきてもらったことがあった。
校門の前に停められた車の主から書類を受け取って教室に戻ると、
「金持ち」という意外な言葉を浴びせられた。
どうやら、教室の窓から一部始終を見ていたらしい。
内心焦りながら「普通の車だろ」と言うと「あれが普通なら…、なぁ?」とみんなが頷いた。
やはり、私は特別なのだ。


高校に入ると、さすがに少しは大人になった。
「金持ち」と言われても「そう、俺様は生まれながらにして人生の勝利者なんだよ」
くらいは言い返せるようになった。
放課後、面倒な宿題を終わらせるために残ってることが多かったのだが、
日も暮れ始めて誰もいなくなった教室の中で、
半ば自分に言い聞かせるように小声で呟くことが多かった。
「自分と同じじゃない、ということをあげつらうことの意味を理解できるほど、
こいつらは大人じゃないんだから、仕方がないことなんだ」と。
「差別?」「いじめ?」という単語が私の頭を過ぎると、
苦笑しながら「確かに、根源的な部分では一緒かも」と一人で頷いた。


関西の大学に入学する前、少し期待はしていた。
今回は誰一人自分を知る者がいないという環境だったからだ。
自分に問題があるのかどうか、それが予てからの疑問だった。
ひょっとすると、知らない間に自分が金持ちであることをアピールしているのかもしれない。
高校時代に「何も分かっちゃいない」と友達を心の中で睨み付けたこともあったが、
結局は私の外面か内面の何れかにソレを感じ、彼らは指摘しただけなのだ。


大学に入学して間もなく、原因が私自身にあることが分かった。
私は細心の注意を払って言葉に気をつけていたのだが、
それらしい発言は何もしていないにもかかわらず、
周囲は私をボンボンだと見抜いたのだった。


一度勇気を出して聞いたことがある。
「俺のどこが、そう感じるの?」と。
そしたら「顔もあるけど、雰囲気かな」という答えが返ってきた。
もはや、自分ではどうすることもできなかった。
恐らく生まれながらにして、私はそういう運命(存在)なのだ。


救いは、親友だった。
彼だけは私に一度も「お金持ち」と言ったことがない。
高校時代、私は誰にもバレないように笑って返しているつもりでも、
本当は酷く傷ついているのを彼は分かっていたのだと思う。
「だったら、話してる友達に止めるよう言えよ。友達なんだろう?」
という話だけど、それをやられて一番イヤなのが私だと知っているから、
だから、そっとしておいてくれた。
謝られるのが、一番辛い。


私は彼に頼るだけではダメなのだ。
ひとたび依存してしまうと一気にダメになる人間だと分かっているのだ。
自分でちゃんと現実に向き合わなければならない。
だから、口出しせずに遠くから見守るだけで、私には十分なのである。
「一生親友でいよう」と約束したのも、私には彼が見えていて、
彼にはちゃんと私が見えていたから。
「両親の持つお金(資産)の付属品である私という存在」
――そういう存在ではない場所が、世界のどこかに一つあるだけでいい。
それだけで、私は救われるのだ。


幼稚園の「ボンボン」という言葉は、多少形を変えて今も私の周りで生きている。
恐らく、世の中には私と同じように差別されている人がたくさんいると思う。
(差別というと語弊があるが、言ってる本人たちに悪意がないのがより質が悪い)
きっと、ボンボンである自分自身に恨みを抱いてる人の中にも、
「どうしてそういうことを言うの?」という人もいるはずである。
今まで出会ってきた人々も、そういう人と接することで初めて気づくことになると思う。


「だったら、今、お前(私)が言えよ」って話だが、
私が傷つくのは、それは私の問題だと思っているから良いのだ。
それに、これから後に傷つくであろう人間も、結局はその人自身の問題だと思っているから。
人は傷つけられることでしか学べないこともあり、
逆に、傷つけることでしか学べないこともある。
しかし、仮に人間関係が永遠に壊れることがあれば私には謝ることしかできないが、
幸せなことに、私の周りの人というのは、そういうことが予想されるような愚かな人はいない。


確かに「人が傷つくのを見抜けない人種が―」という意見もあるかも知れないが、
気づけなかったら仕方がないし、知らないことは罪ではない。
罪になるのは、知った後でも同じように傷つけてしまう、それだけだ。
だから、今まで出会った人々は「未来の傷つく人」と、
一方的にケンカして決裂するような人間ではないという確信がある。
何かを学び、その人なりの何かを与えてあげることができる人間。
だから、私は安心してチャンスを次の人に委ねることができる。
綺麗事かも知れないが、少なくとも私は表も裏もなく本気でそう思っている。


――というようなことを、マリ見て読みながら思っていました。
「金持ち」の話題は、本気でも冗談でも結構こたえます。
常に周りに同じような人がいなかったから、私だけ異質な存在なのかな、と。
学生時代って言うのはある種の仲間意識、同族意識っていうのが強いから、
余計に疎外感を強めてしまうんですよね。
飲み屋とかで、もう一人の私が話題になった時なんか、土地か家の話しかならないので、
「ビルはあるよ」ってことを話せば「どこに?」「新宿」「お前、東京行けよ」
「なんでよ?」「ビルあるんなら、そこ住めばいいじゃん」「商業ビルだっての」
「管理部屋とかあるだろ。そこ住め」みたいなやり取りが交わされるのは目に見えてるので、
やっぱり黙ってコップに口を付けるしかない。
ネタでも本気でも、やっぱり、そこには私がいないから、悲しくなるだけです。


話を戻すと、小説と言っても、いわゆる世界史の教科書に載ってるような本しか読まないので、
(別に強制でもなんでもなく、ただ常識だ、っていう理由からしか読書はしない)
マリみて』が新鮮だったかどうかは別にして、かなり衝撃はありました。
そう、登場人物がみんな金持ちっていう(笑)


その中で、祥子さまが、私と同じ幼稚園っていう時期に似たような体験をしてたりして、
20も越えたむさい男がいうのも何ですけど、ああ、仲間だ、っていう。
そしたら、だいぶ気が楽になった気がします。
ホッとした、って感じで、やはり一人って寂しいものなんですよね。
「人は一人でいきられない」のは、恐らく絶対的真理。
本の中の人だけど、私には永遠の強い見方なような気がします。


アニメが好きで絵を描くのが好きで、家にるのが大好きな自分より、
何にもしてない単なるお金の付属品であるもう一人の自分の方が、
周りの友達にはもっともっと大きく映る現実を目の当たりにすると、
本当に何もかもがイヤになって私自身を全部消してしまいたくもなるけれど、
やっぱりそれが現実なのだし、これから先もずっと私は戦い続けなきゃいけないと思います。
それはたぶんお金の付属品である私より、私らしいと思えるからだし、
何より親友の彼が黙って見ていてくれるから、私は逃げないでがんばります。