観念と絵画

観念というのは、普通は言葉によって定義されます。
それを、絵を描くことで表現できないかということを考えてみた。


結果的に言えば、観念を具体化するということは目に見える形で表すことが求められるのですが、
逆に言えば目に見える形で表せることができれば、それは観念を具体化していることになるのですよね。


問題は、それが美術、とりわけ絵画という分野で可能かどうかです。
映画や文学では極めて稀に存在するのですけど、絵画ではどうなのか。


観念それ自体は潜在意識の中に潜んでいるものなので、無意識と言っていい。
ただなんとなく(無意識に)描いた絵というのは、普通は落書きのことを指します。
難しい数学の問題が並んだプリントの裏側に片肘をつきながらよく描いたものですが、
そのほとんどは意識的な活動ではなく、やはり無意識なのです。


普通は「テーマ」を決め、あとは技術的なことを考えながら絵を描きます。
つまり意識的なのですが、だから、落書きこそ観念の表現に当たるんじゃないか、と思いました。


しかし、例えその落書きが出来上がったとしても、当然それが何なのか本人にすら分からない。
主題、目的意識があってこそ初めて絵として成立するなら、落書きは絵ではない。
やはり、記号ということになり、言葉と一緒になってくる。


ただ、記号なんて話をすれば、どんな立派な絵だって記号と呼べる。
じゃあ、言葉と同じ働きをする絵、つまり記号ではあるけども言葉とは違う絵画というのは何なのか。


※ここで断っておきますが、私が考える「絵」の分類は下記の通りです。
一つは、落書き。
一つは、観念を具体化することに成功した絵。
一つは、観念を具体化することに失敗した(具体化されていない)絵。
(これをハッキリさせないと混乱するので一応念のためです。)


これは今の段階の結論(仮説)なのですが、私は完璧な絵のことを指すと思います。
完璧な絵とは何かというと、つまり完全に安定した絵のことです。


まあ、雑に言うと、飽きない絵ってことです。
つまり、見ていて観念を言葉にしたその言葉に全く違和感を感じないことと
同じ気持ちというか気分になる絵ということになります。


まとめて分かりやすくいうと、ある観念を紙上に表現した、違和感がない、不安定な要素が一つもない絵。
それが観念を具体化することに成功した絵だろうと、私は思います。


そこで問題になるのは、やはり最初に書いた「絵画という分野で可能かどうか」なのです。
そんなものを絵に描けるのか。


私は、可能だろうと思います。
なぜなら、そういう観念を具体化することに成功した画家を知っているからです。
皆さんもご存じのピカソという画家です。

なぜ彼の作品が成功するのかは長くなるので省きますが、
ここでもっとも重要なこと。
それは…、私にも描けるかどうか(笑)


ハッキリいって未知数。
でも、魅力的であるのは確かです。