「妊娠中も太りたくない」

「妊娠中も太りたくない」 ダイエットの影響で、低体重児が増加


妊婦さん、過度の減量ご用心 胎児の発育に影響


母親が妊娠中もダイエットを続けた影響とみられる体重の少ない赤ちゃんが
増えていることから、厚生労働省は妊娠中の食生活や望ましい体重の
目安をつくることを決めた。3月中に栄養士や小児科医など6人で構成する
研究会を発足させ、10月に報告書の形で指針をまとめる。母子健康手帳
指針を載せるなど周知を図り、妊婦の目安にしてもらう考えだ。


同省によると、胎児期の発育不良や早産などが原因で生まれた時の体重が
2500グラム未満の赤ちゃんは、03年で全出生数の9.1%にあたる10万
2320人。10年前の93年に比べ約2万1000人増え、比率も2.3ポイント
上昇している。保育器が必要な場合が多い1500グラム未満の赤ちゃんの
場合は03年で8390人おり、93年比で24%増えている。


産科医らによると、出産前は、母親の体重は10キロ前後増加するのが
一般的だが、「妊娠中も太りたくない」と訴える妊婦が近年目立つという。
こうした「スリム指向」が妊娠中にもダイエットを続けることにつながり、
低体重の赤ちゃんが増える一因になっている、と専門家はみている。


http://www.asahi.com/national/update/0301/022.html

それだけじゃないでしょ、と突っ込みたくなる。
この後に続くものは目に見えていて、流産が増えるはずです。
なぜか。


単純で、母胎が栄養過剰だから流産ができないのであって、
ダイエットでそれがなくなれば、流産しやすくなるってだけです。
先天的に何らかの異常を持つ子供を生む、ということは、
平安時代なんかまで遡っても、やはり上流階級(貴族)に多かったはず。
もちろん近親相姦的な事由でのこともあるのでしょうけどね。


現代は、豊食のおかげで流産にストップをかけれるほど、
身体に余分なエネルギーが溜まってるんです。
胎児に何らかの異常があっても、それを母胎の栄養、エネルギーでカバーしてしまう。
だから、生まれてくる力がなくっても、生まれてこれることになります。


ここで断っておきますが、私はそれが良いとか悪いとかを言ってるのではありません。
私からみた世界に対する理解、それだけです。


さて、妊娠したかどうかは、受精した段階で分かります。
正常位で中出し後に、抱擁するフリして腰椎を触ってみれ良いこと。
ちょっとした変化なので難しく、むろん私も相手を妊娠させた経験はありません。
だから、まあ、一回一回確かめて”その時が来る”のを待つしかありませんけど。


しかし、分かったら私自身どう反応するのか予想つきません。
腰椎の該当箇所が変化してる場合、受精・妊娠は100%確実なわけで、
つまりは、私がその子の父親となる明白な証拠なんですよね。
驚くのは確かでしょうけど、感動するのも確か。
きっと動機も激しくなることでしょう。


それを相手の女性に伝えるかどうか。
たぶん、伝える余裕はないと思う。
とりあえずその後一週間くらい放心して過ごした後、妊娠の兆候が現れ出す前に、
それとなく赤ちゃんや子供の話題を出していくのかな、私の性格的に。
んで、そろそろ妊娠を疑いだしたと感じたときに、それとなく、
「なんか良い予感がする。ちょうど午後から時間空いてるし、ちょっと病院でみてもらおうか」
とか思いついたみたいに言うと思う。たぶん。絶対。
もちろん、その台詞も状況も何日も前からイメージトレーニングして。
しかも前の晩は緊張して寝付けなかったりして。
当日は朝からドキドキしてかなり不自然な感じになったりして。
はぁー、愚かな私が目に見える_| ̄|○


まあ、でも、「病院行こう」っていうのは何も知らなければ、
受け止め方によっては結構残酷だったりもするけれど、
この場合はハッキリとした確証があるから、そういう線は考えなくてすみます。
そのかわり、妊娠を告げられた時どういう反応するんだろう、とか、
病院出た後の帰り道はいったいどんな空気に包まれるだろう、とか、
色んな事考えすぎてガチガチになってるようだったらどうしようか、とか、
小心者を主に持つ脳細胞は、フル稼働でくだらない思考を続けてるはず。


それはそうと、流産の話。
胎児に異常があれば普通は流産するわけなんですけど、
現代の栄養事情が良すぎて母胎がカバーしてしまう話は上で書きました。
本来、流産というのは生命の安全機能なんですよね。
母胎を守るための。
だから、先に胎児云々を語るのは、あまり良い議論だとは思えない。


というわけで、胎児が正常かどうかは非常に重要なこと。
それを確かめる方法が一つだけあって、妊娠初期のある時期に、
身体のとある部分を軽くトントンと叩いてあげるんです。
そうすると、数日後に正常であればそのままで、異常があれば流れます。
これをどう捉えるか。


私の叔母は、これで2回流産して、3回目で出産となりました。
三十後半の高齢出産だったので、その辺のこともあわせて色々考えてから、
この方法を選択したんだと思います。
喜ぶ姿と悲しむ姿、両方を覚えています。


この件に関して、第三者は絶対に口出すべきでないことは確かなので、
やはり夫婦の問題となります。
これを安易に倫理や道徳の問題、社会、人類といった夫婦以外の問題に転嫁することは危険極まりない発想。
しかし、どういうわけかそういう風に考えてしまう傾向があって、本当に呆れる。
それも決まってインテリと呼ばれる本来なら頭のいい人が陥るんですよね。
もうちょっと真剣に考えろっていう。
私は、もちろん私の子供と言うだけで無条件に愛しいものでしょうけど、
できれば健康であってほしい、と願わずにはいられません。
だから、先の方法を選択したいと私は思っています。
誤解のないように書くと、健康でない子供が欲しいとか欲しくないとか、
そういうレベルで話をするのは論外で、口に出したくもない。
私のような冷たい人間でも絶望的な悲しみに襲われるのは分かりきっているでしょ、っていう。
責任というものを絶えず考えてる私が、苦しまないはずがない。
事の重大さを、私なりにではあるけれど、十分に思考した結果の上でのこと。
ただ、これは私だけの問題ではないし、正しいか否かの問題でもなく、夫婦の問題なので、
しっかり話し合う必要があるのは当然ですが、問題は時期。
うーん、どうしたものか。


と、ここまで書いてなんですけど、なんでこういうことを書いたのか分からない。
かなり神経質な部類の問題なのは分かってるんですけど。
まあ、でも、リアルでこういうことを話すことはありませんし、
ネットであれば読む読まないは自由、というところからなのかな。


自分の考えがフラフラしてるのは承知の上で思うことがあって、
「若気の至り」っていうのは悪いことではない気がします。
なぜなら、生命の原動力から発した純粋な行動力と、その結果が伴うから。
頭が大きくなりすぎて身動きが取れなくなるよりはずっとマシ。
結果を良くするか悪くするかは、それは年を取って頭が大きくなった自分自身。
若いときには頭がなく足と熱い感情があり、
年を取ると頭はあるけど足と熱い感情がなくなってしまう。
構造的に言うと、若い自分の情熱と行動力によって作られた何かを、
年取った自分がそれまでに培ってきた知識と経験でよりよい何かに作り上げるために、
若いときには頭がなく、年を取ると足がなくなるのかな、と思います。
だから、老いっていうのは、人間が理性ではなく身体に支配されてる証拠です。
もちろん、皮膚にあらわれる分かりやすい意味ではなく、
生命の原動力を一定に、均等に供給し続けるのではなくって、
人間の年齢でいえば10〜20台とかいう時にガーンと出してあげて、
理性はその間休んでるのではなく、必死に何かを学びなさい、と。
そのままの勢いで出し続けたら30半ばで枯渇して死んでしまうので、
徐々に減らしていき、その分は理性ががんばりなさい、っていう感じです。
体力の衰えがなければ、世の中破滅しています。
知識もあって行動力もある年寄りは稀な存在でちょうど良いのです。


よくできています、人間って。
理性が病気の時以外は身体の存在を忘れるほど、上手くあしらっている。
これが頻繁に自己主張するか理性との付き合いが下手な身体だったら、
とっくに人類は滅びてますし、その辺考えると、生命って偉大です。