4年ぶりの再開

4年ぶりに私の頭がもとに戻って大変喜んでいます。
「大学入って平和ボケしてしまったのか?」「加齢が原因か?」
と思ってたんですけど、んなこたーないですよ。


自覚症状が出始めたのは、1回生の6月くらいでしょうか。
もっと考えられるはずなのに、なんでこんなに頭が働かないんだろう?っていう。
脳内全部位に霞がかかっているような感じ。


それから1年後に身体壊して、半年後に奇跡的に復帰。
完全復帰にもう1年と半年かかって、身体は完全に復帰したのに頭が戻らない。
「やはり、年齢を重ねるうちに脳内の動きも鈍くなるのだろうな」
なんて思ってたんですけど、はじめに書いたように、んなこたーないんですよ。


今日の昼くらいに、気付かないうちに2〜3個の思考を同時処理してました。
もちろん、この場合思考といっても思念?のような感じでカタチ以前の存在なわけで、
いちいち言葉に置き換えてたら、それこそ1つの思考を処理するのがやっとってところですよね。


こういうのって速読に似ている気がします。
時間が迫ってたりするときに速読する時は「目で読む」んですけど、
子供が読むように1字1字読んでいったところで、頑張ってもたかが知れてます。


そうではなく、1段落(だいたい300〜400字のひと固まり)を丸ごと読むんです。
こういうと「無理だろ」って言われそうですけど、1字が1段落になった、ただそれだけなんですよね。
だから、見開きのページで目を動かすのは、多くても少なくても3回です。


まず見開きのページの右ブロックを見て(読んで)、中央のブロックを見て、左ブロックを見る具合。
「そんな頑張らなくてもいいやん?(苦笑)」と思うかもしれませんが、
1字1字読む方が全然疲れるんです。


原稿用紙1枚が400字ですけど、あんなのは1目で十分。
パッパとめくっていって丁度良いんです。
400回も目を上下に動かしながら読むなんて、絶対やってられない。


と、こういうと、んじゃ、難解な哲学書もそうやって読めるのか、ということになりますが、
速読は魔法の道具ではなく、ただ単に「早く読む技術」です。
本の内容が難しかったり、本人の苦手な分野である場合は読書スピードは絶対落ちるんです。


一般人の読書スピードが1分間に600字程度(1分間に原稿用紙1枚ちょっと)。
読むのが早い人で、だいたい1200字から1600字(1分間に原稿用紙3枚から4枚)。
私が速読習ってた頃の記録が20万字(1分間に原稿用紙500枚)ですから、
普通の教養書とか小説、特に警察関係の小説やノンフィクションモノだったら断然早いんですけど、
これが理数系の教養書だと一般人レベル以下に落ちてしまう。


つまり、普通に読んで理解できなければ、いくら早く読んでも理解できない(それ以前に読めません)んですよね。
この辺に速読の勘違いというか偏見というか謝った認識があるんですよ。


ここで一つ具体例。
センター試験という大学入るためのテストがあるんですけど、その中の国語(国語1・2)の時です。
全部で4問あって、1問目が随筆、2問目が小説、3問目が古文、4問目が漢文、です。
チャイムと開始の合図があって、問題用紙を開きますよね。


緊張で固くなっている私は、随筆の問題文(3ページくらい)に3秒かかります。
読み間違いとかないかじっくり7回読み直しました。
トータルで約15秒くらい(1度読んだら、2度目は早くなりますよね。だから5回目以降は1〜1.5秒)。


そのまま問題をダァーっと片付けて、次の小説の問題。
ここからは少し慣れてきたし、小説は好きなので問題文を4回読み返して8秒。
答えをマークして、古文と漢文。


ただ、これらは問題文が1ページなので読み返すにしても回数をカウントするなんて不可能。
たぶん7〜8回は読んだ思うのですが、古文は2秒もかかってないと思います。
んで、見直しを何度もやって、試験開始後3分22秒で終了。


なんで3分22秒かっていうと、これは他の速読仲間と競争してたからです。
会場はあいにく違いましたが、あとで聞いたら2分57秒ってことで負けました。
でも、正答率というか点数は私が19*点で、彼女が17*点で無事勝利。


かわって数学は、私がもっとも不得意な科目。
1ページ何十分もやってました_| ̄|○
しかも、点数もさんさんたるモノ…………。


まあ、数学の例は数式を解くという意味で本論とは関係なくなっちゃいますけど、
数学の解答を読むときなんかも同じで、やはり理解できないから先に進まないわけです。


で、話を元に戻しますが、なんでこれが思考の処理と似ているのかというと、
つまり、頭の処理に全部”おんぶ”させてしまうんです。
いちいち音読してるから、話すスピードでしか頭に入っていかないっていう。


だから、言葉というのはあらゆる意味で人を抑制する方向に動いてしまうんですよね。
所詮は人が時間をかけて作り出したモノですから、やはり時間がかかってしまう。
本来の人間の力というのはそんなものより格段に早いんですから、そっちを使う方が断然お得です。


だから、思考といっても思念みたいなものと書きました。
もちろん言葉で定義もできますけど、そうすると遅いから全部頭の中で処理してしまう。
そうすると、あとはそれが6個になろうと7個になろうと関係ないわけです。


だから、処理が終われば「分かった」でいいわけです。
人に伝えるものでもないし、自分の中で分かればそれでいいわけですからね。


ただし、これをやりだすと他のことが何も出来ないです。
今日も平気で何時間も机の上で思考してまして、つまり、余計なことは全て遮断してしまうのです。
こうなってくると、もう料理なんてできなくて、カップラーメンなんて絶対作れません。
いつお湯を入れたのか、そういえば粉末スープとか取り出したっけ、みたいなレベルのことがワンサカ出てきて、
「えーっと、あと1分くらいか」と時計を見てそう思ってはみても、時計を睨みながら何十分も過ぎてる始末。


そういうことは過去に何度もありましたが、幸い大学時代の大半は”霞がかっていた”ので大丈夫だったのですが、
ここにきて、またそれが復活しそうな勢い。


まあ、でも、これが私なんですよね。
何も考えてない私なんて、私は私らしくないと思っています。
生きた心地がまったくしませんしね。


これが単なる秋晴れとなるか………
明日も霞が晴れてたらいいなー。


追伸:
記録っていうけど、お前は1分間に500枚も原稿用紙をめくったんか?
という疑問を持たれた方もいるかもしれないので、一応補足です。
いえ、私はスペースキーを押していただけです。
そう、コンピューターです。
モニター上に小説(あの時は『老人と海』でした)が表れて、それで計測するんです。
普通に考えて、いくら読むスピードがあったとしても、処理(紙をめくる)が大変ですよね。
だから、1万字以上はパソコンの上でしか計測できないんです。
速読っていっても、今のところは試験もありませんから、あまり気合い入れて使う機会は少ないです。
でも、あればあると重宝するので、興味ある方はぜひ。