自己同一性

昨日書いたある人との出会いから数日。
私は何のために生き、何を成したいのかをずっと考えています。


それには、まず、私がいったい何者かを考えなければいけないと思いました。
私を私たらしめているものは何なのか。


一般に、人を人たらしめるものを自己同一性、アイデンティティーと呼びますが、
そのアイデンティティーとはいったい何なのか。


結論からいうと、私は「尊厳」だと思います。
分かりやすくいうなら誇り、プライドということになりますけど、
プライドにはお金や名誉、あるいは財産なども含まれますから、少し意味が違ってきます。
やはり、少々難解な言葉ではありますが、尊厳がもっとも適切だと思いました。


日本では古来より、相手と対峙する場合、礼というものをします。
剣道でも柔道でもそうですが、礼とは相手の生命に対して行うものです。
挨拶もそうですし、始業の礼も同じ意味だと思うのですが、
つまり、礼儀(礼)とはその人の生命(尊厳)を尊重する態度のことです。


そうであるなら、その人とは尊厳ではないのか。


集団(人間)の中にあるから自己同一性(簡単に言うと、他人との違い)が生まれるのですが、
尊厳もまた二人以上の関係の中で生まれてくるはずです。
なぜなら、礼とは相手に向かってするものだからです。
(もちろん、自然や動物、形ないものに対して行う場合もありますけど)


柔道の試合を見ても、戦う者同士が同じ人間であることはなく、
生き方や考え方、立場などはもちろん違います。
それを”含み”、そして同じ”土俵”で全力で戦う。


戦いに勝った負けたが一番だというのなら、なぜ試合が終わった後でも礼をするのか。
その意味を考えれば、自己同一性が「尊厳」あるいは「誇り」というものに
深く関わっていることが見えてきたのです。


では、私の尊厳とはいったい何なのか。
答えは出ていません。