APPLESEED

士郎正宗原作のフルCGの劇場版アニメ作品です。
私の映像補完能力は極めて低いので、CG作品はあまり受け入れることができません。
ですから、今回の作品を視聴するのは恐かったのですが、
クライマックス近辺ではちょっと涙したくらい、良い作品でした。


とはいうものの、最初は「Xボックス系のゲームみたいだな」としか思えず、
冒頭から60分くらいたってからでしょうか、やっと違和感なく、
つまり安定して見ることができるようになりました。


それからは純粋に世界観はもちろん、物語と登場人物にのめり込むことができ、
デュナンママが殺されるシーンにはグッときたり、
ブリアレオスが「人間ではなくなっても、機械になってもお前にもう一度会いたかった」
というような台詞に泣かされました。


こういうのって好きだな〜と思う。
恋人と離ればなれになった男が、戦争や事件に巻き込まれて命を落としかける。
人の形を捨てても、ただもう一度会えることを願い、いつの間にか人の心まで失うくらいの過酷な現実に
向き合って生きているそんな中偶然にも恋人の女性に会い、彼女の覚えている彼とは全く違うことを指摘される。
んで、色々なことがあり、彼の死に際に先のような台詞を口にする。


という、脚色なしの構造だけ書けばこうなるのですが、まあ、そんなことは置いといて、
最後の多脚戦車との戦闘シーンは良くできていました。
CG万歳!って感じでして、人の映像処理能力の限界スレスレのスピードで戦闘場面を構成されると、
極めて単純に「すげー」って状態になるから不思議だし、おもしろいです。


ラストの「HITOMI」という暗号のところは感動でした。
どうしても最後の一文字が入らず、愛するブリアレオスを離すわけにもいかない。
んで、最後の最後で勝手に文字が入るのですが、もう最高です。
「I」(愛)の一文字は、ブリアレオスを、ブリアレオスへの愛を守ったってことで、
まあ七賢人のじいさん達が入れたとかどうとかはヒトミが最後でバラしちゃいましたが、
この物語の設定でいけば、これはハッキリ言ってなかった方が良かったかなぁ、と思います。


つまり、台詞がなければ、もしかしたらデュナンママのプログラムだったとも取れるし、
その場合は「母から娘への愛(I)」になるわけですよね。
私はそっちの方が物語としては美しかったかなぁ、と思うんです。
(七賢人のじいさん達が入れたのなら「人類に対する愛」にしかならないので)



まあ、でも、非常におもしろかったです。
CGへの見方が変わった気がします。


追伸:
ヒトミが多脚戦車の暗号を「HITOMI」だと告白するシーン、
あの時私は「ヒトミと多脚戦車の制御プログラムは連動している」と思って、
勝手にグッときかけたんですけど、そうではなくてちょっとガッカリしました。
つまり、戦車を止めればヒトミも死ぬってことで、デュナンがどういう決断を下すのか、
その辺があれば、物語の最後にちょっとしたスパイスを効かせられたかもしれません。
っていう前に、あの七賢人のじいさん達が「第7多脚戦車を止めれば良い」
という情報をデュナン達に出し渋ったのは、そのせいだと私は捉えたんです。


結果的にそれは間違いでしたが、彼らの考える種の移譲という考えからも、もちろん説明はつきます。
でも、例えヒトミがバイオロイドだとしても、種の壁を越える何かを感じ取っていた、
つまり、ヒトミを実の孫のように可愛がっているという「愛」があればですよ、
七賢人がラストで「I」(愛)を入力するというかなり重要な理由(動機)として成立するはずなんです。


せっかく、この「I」という一連の設定を考えたのだから、
最後に七賢人が入力したことをバラすのであれば、ヒトミと多脚戦車を結ぶ新しい設定、
パスワードだけでなく、その内部機関(命)も繋がってることにしてしまえば、
数々の登場人物を巻き込めるより良い設定になれたと思うんですけどね。