京都と東京

近隣のZetsさんと、京都の古い町並みを散策してきました。
うん、うん、すごい良い。
歩きながら、どうしてこんなに惹かれるのか、その理由をボーっと考えてました。


大雑把に言うと、あの辺りって時代と共に生きているんですよね。
古いものばかりではなく新しいものもある。
それが共存しているのか、それともお互いに反発しあってるのかどうかは別として、
やはり同じ土地に立ってるわけですよ。


新旧の争いっていうのは昔からあるわけで、最終的に古いものは新しいものに取って代わる。
それは仕方のないことで、いくら保存運動をしたところで逆にそれが不自然になる。
つまり、古いものを守ろうという発想自体が新しいものだからです。


しかし、京都はそれが自然に融合というか融和されていて、だから見ていて清々しい気持ちになる。
私は20世紀の終わりに生まれ、まだちょっとしか生きていない(京都から見れば)”新参者”です。
普通なら私という存在自体が”異物”として排斥されてもちっともおかしくない。


でも、京都ではそれが許されるんですよね。
そうでなければ、あれほど権力的な仏像が神社に祭られることはないんです。


東京という街(中心部)を訪れるとすぐに分かることなんですが、
新しいものしか受け入れない都市の典型ですよね。
だから、仏像なんてものは存在できない。


別に、それが良いとか悪いとか言ってるわけではなくて、
東京をはじめとする多くの都市が「否定」か「肯定」のどちらかに傾いてることを言ってるわけで、
京都という街は「否定」もしないし「肯定」もしない。


カッコつけて言うなら、寿命(役目)が尽きれば自然に土に帰る、という感じでしょうか。
その考え方には私も賛同するし、だから私は京都という街に惹かれるのだろうな、と思います。