NTTDoCoMo FOMA 901iシリーズ

F901iC
一昔前の容姿でポッチャリ系だが中身は萌える良妻。金銭管理もプライバシーもバッチシ。
音楽の才能もある。 暗所以外での写真撮影は得意だが赤帯を一緒に写してしまう悪い癖がある。
ゲームは苦手。複数の事をそれなりにこなす。瞳(ディスプレイ)が大きく体力に自信あり。


D901i
珍しい格好の女だが中身はFの妹で良妻。金銭管理はできないがプライバシーは守ってくれる。 
姉ほどではないが音楽の才能あり。写真撮影は得意。
姉同様ゲームは苦手。複数の事をそれなりにこなす。瞳が大きく美しい。体力は姉以上。


SH901iC
一年後に大きく容姿を変えた女で良妻。頭が良く金銭管理もしっかりしている。
WordやExcel、TV番組等の管理も出来る。特技は首を回せる事。写真撮影は超得意。ゲームも得意。
仕事は速いが集中しすぎて他の事を同時にこなせない。うつる瞳がとても綺麗。体力に自信無し。 


N901iC
スタイル抜群の女で少し悪妻。その容姿のおかげで世間からの評判はいい。金銭管理も出来る。
先に進もうという努力がない。辞書が必要なほど頭が悪いうえに反応が遅くトロいので
夫をイライラさせる。 写真撮影はかなり苦手。
ゲームは大得意で複数の事を同時にするのも得意。体力は人並み。


P901i
かなりの美女。Nの妹で悪妻。華美な容姿のおかげでみんなに愛される。
特技はコスプレと迅速なL字開脚。姉同様に頭が悪くトロさは姉以上。写真撮影は得意。
ゲームが超得意で複数の事を同時にするのも得意。そろそろ姉と生活するのが嫌になってきている。
体力は人並み。

笑った。
もう一つコピペ。

◆液晶の大きさ
D901iF901iC(2.4inch)>N901iC(2.3inch)>SH901iCP901i(2.2inch)


◆液晶(屋内)
SH901iCD901iF901iCN901iC>視角の狭い壁>P901i


◆液晶(屋外)
SH901iC>>D901iF901iCN901iC>視角の狭い壁>P901i


◆電池のもち
D901iF901iC>超えられない壁>P901iN901iC>やや超えられない壁>SH901iC


◆文字変換機能(慣れを除く)
SH901iCF901iCD901i>越えられない壁>N901iCP901i


◆ダウンロード辞書
SH901iCN901iC=P901iC>未対応の壁>F901iCD901i


◆ボタンキーの配置(慣れを除く)
SH901iCF901iC>越えられない壁>D901iN901iCP901i


◆全体レスポンス
SH901iCF901iCD901i>越えられない壁>N901iCP901i


◆内蔵メモリ
F901iCD901i>超えられない壁>SH901iCN901iCP901i


◆アプリ
P901iN901iCSH901iC>サクサクの壁>F901iCD901i
※実用上問題ないレベル


マルチタスク
N901iCP901iF901iCD901i>アシスタントビューの壁>SH901iC


◆静止画撮影
SH901iCD901iF901iCP901i>越えられない壁>N901iC
※N以外の画質は好みによる


◆動画撮影
D901iF901iCSH901iC>超えられない壁>P901iN901iC


◆動画再生
SH901iCD901iF901iC>超えられない壁>P901iN901iC


◆音質(音量を除く)
F901iCD901iSH901iCN901iCP901i


◆音楽周りの機能
SH901iCF901iCD901i>開けていないと聞けない壁>N901iCP901i


◆簡易ミュージックプレイヤーとしての使いやすさ(ポケットに入れて聴く)
F901iCD901iSH901iC>絶対に無理がある>N901iCP901i
※DとSHは選択画面に傷は勘弁!
ケータイ閉じて音楽聴きたいのならSH。
ハードプラだから気にしない!曲飛ばしがしたいならD。


miniSD(512MB対応)
SH901iCF901iCD901i>未対応の壁>(256MBまで)N901iCP901i


フェリカ(安全度込み)
F901iCSH901iCN901iC>未対応の壁>D901iP901i

901iには恐くていけないなぁ。
背面液晶と2.4インチASV液晶ならSH901iCに行ったんですけどね、残念。
大人しくSH900iにしとくか。

今日はきっと…。

今日はきっと大切な日になると思います。
というのも、運命的なことがいくつもありました。
その最たるものが、何年も待ち続けた『たんぽぽ娘』が届いたことです。
だから、今日の出来事一つ一つに運命を感じてしまい、
それを確信に転化し運命を”作る”ことこそ私のやるべきことだと思いました。


今はまだ「運命」でも「運命でない」でもない状態。
失敗もないし成功もありません。
何もしないで失敗することはあっても、成功することは稀です。
だから、今日を大事にして生きてみようと思う。
せっかく『たんぽぽ娘』を手にし、運命を感じだ記念すべき日なのだから、
50年後の自分から見て輝くような美しい日にしたい。


運命というのは抗いがたいものですが、
その大元が全て天にあるというわけではなく、
やはり、過去の自分にあるんですよね。
いま文章を書いてる自分も、すぐに過去になる。
だったら、私が錯覚でもいいから運命を感じて行動に移せば、
それはある運命に繋がるかもしれない。
もちろん、延長線上に幸せがあるかどうかは分からないけれど、
何が何でも幸せにしなくては、生きてる意味もありませんし、楽しくもない。


だから、奇蹟的で感動的な私が、現在でいられるうちに、色々と、やってみようと思います。
未来の自分への素敵な贈り物になることを信じて。

絶対的信頼。


「おとといはウサギを見たわ。きのうは鹿。今日はあなた」


今の私を破壊することのできる台詞があるとすれば、コレに違いありません。
状況は、冗談でも何でもいいんです。
ただ、私のよく知らない女性、に限りますけど。


一番考えられるのは、初対面(または、それに近い)の相手が小説の好きな女性で、
それで話が弾んだ時に口に出されるっていう感じでしょうか。
一番好きな台詞、とかでもいいし、泣いた台詞とか、
あとは小説当てのゲームみたいなものでも、状況はいくらでも考えられます。
とにかく、


「おとといはウサギを見たわ。きのうは鹿。今日はあなた」


という台詞が両耳を通過した瞬間から、私は間違いなく壊れていく。
なぜか。
単純に言うと、時間に対する信頼が根本的に揺らぐからです。
私は「時間」に対して「生」と同レベルの信頼を置いています。
普通の人もほとんど同じだと思います。


つまり、誰もが「生きていること」に対して絶対的な信頼を置いてます。
それは、そうしないと生きられないからです。
意識・無意識は、関係ありません。
普通は無意識なのですが、これが信じられないとなると生きていられない。


同じように、誰もが「時間の不可逆性」に対して絶対的な信頼を置いてます。
これも、そうしないと生きられないからです。
時間が可逆的で、未来が過去になったり過去が未来になったり、
そういうことがまかり通れば、まともに生きてはいられません。


「生」も「時間」も確信はない。
だから、恐いのです。


「生」に関して言えば、例えば、自分は5500年後の未来にいて、
本当はもの凄くリアルな家庭用体験ゲームをやってるのかもしれない。
そういう風なことを考えると、人によっては「生」に関して重大な危機が生じますよね。
同じことが、私にとっては


「おとといはウサギを見たわ。きのうは鹿。今日はあなた」


という台詞に言えるのです。
まず、台詞を発した目の前の人間が”本当に現在の人間か”信じられなくなる。
確かに冗談で言ってるかもしれません。
しかし、その確証は絶対に得られないんです。
なぜなら、時間は不可逆だという明白な証拠はないから。


例えタイムマシンで歴史を変えられたとしても、
それは小説だと、みんなの記憶の中の事実そのものがなくなるから、
結局証拠はないんです。


だから、私は答えのない、それでいて抜け出せない永遠の地獄に落ち、
かなりの人間不信と、現在に対するありとあらゆる疑念を抱くと思います。
と同時に、小説の刷り込みと思考の混乱、錯誤、色々なものが重なって、
その女性に対し好意を抱くことは明らかです。
しかし、時間に対する信を失ってますから、結局は悲惨の一途。
みなまでいうまでもありません。


ですから、非常に危機感を感じてます。
もし、そうなってしまったとしても、まだ這い上がる術を持ってませんから。
うーん、どうしたものか。

エヴァ卒業とエヴァ缶

エヴァンゲリオンオタク(通称:エヴァオタ)人生に卒業試験があったらこんなのかな。
下記の文章を読んで、少しでも「羨ましい」「いいなぁ〜」と思わなかったら合格。

これは最近なんだけどな、俺は中学の頃からエヴァオタだったんだけど
中高と友達がいなくてエヴァ話をしようにも相手がいなくて鬱憤がたまってた。
で、3ヶ月くらい前に初めて彼女ができたんだよ。
彼女はすごく優しくて、顔や雰囲気は池脇千鶴に似てて、
なんで俺なんかと突き合ってんだ、ってくらいの女の子なんだな。


俺はここぞとばかり思いのたけを彼女にぶちまけたんだよ。
一回はしてみたかった布教もひたすらした。
それはもううなるほどエヴァ話しまくったさ。
それでも彼女は聞いてくれた。俺のビデオを見て勉強してたよ。
幸せだった。


―――1ヶ月後
立場が完全に逆転してた。
彼女は毎日毎日飽きもせず漏れにエヴァのこと聞いて来るんだよ。
「ユイがすべての元凶だよね」とか「ミサトが加持さんを殺した」
とか「カバラの木がセフィロト云々」とか
「子供できたら男だったらシンジ、女だったらレイって名づけようね」とか
しまいには「あなたシンジ君ね、私レイやるから」とか言って
LRSをやりだす始末(これはちょっと萌えだが)
電話かけて俺だとわかると「何、碇君」とか言うんだよ
もう二ヶ月こんな日が続いてる
このままじゃ同人に手を出すのも時間の問題かも


洗脳して悪かった もうしません 許してください。

私は、予想通り不合格_| ̄|○
だって正直、うらやましぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!


さて、卒業できてない人は、恐らくエヴァ缶を飲んだことがあると思います。
あの懐かしいUCCの缶コーヒーです。
その名もなきチャレンジャーの話。

それは99年の2月ごろのことでした。
のどが渇いたのに飲む物がなくて困っていたところ、
クーラーボックスの中に、20本以上のエヴァ缶があることを思い出しました。
早速出して缶の裏を見ました。
UCCIF 980717/B と、ありました。


6ヶ月程賞味期限が過ぎていましたが、缶詰はそう簡単に悪くならない、
賞味期限は余裕をみた数字だろうと思い、缶のふたをあけました。
念のため匂いをかいでみても、特に異常はありません、
見た目も正常なので、 一口 口にふくんでみました。
酸っぱくもなく、だいじょうぶそうなので、
そのまま飲みきりました(午後3時頃)。


午後11時頃、ちょっとお腹の調子が悪い気がしたのですが、
そのまま寝ました。すでにエヴァ缶のことは忘れていました。


午前3時頃、ウンコを撒き散らして目を覚ましました。
布団のシーツまで、侵食されていました。
とりあえずシャワーを浴び、さまざまな物を洗いました。


その後、30分毎にトイレにいくはめになり、そのまま朝になりました。
あまりにもお腹が痛いので風呂を沸かして入ることにしました
(風呂に入ると腹痛が治るような気がしたから)。


そして風呂の中で、気を失いました。


幸い溺れ死ぬことはありませんでした。
ちょとつかるだけだからと思い、お湯の量が少なかったので。
だいぶたってから、テレビ番組の、特命リサーチ200Xで、
酒を飲んだ翌朝、体調の悪いとき、通常の寝起きでも、
血液の粘度が上がっているときに風呂に入ると、
脳に血液がいかなくなって気を失い、
風呂の中で溺れ死ぬことがある、というのをみて怖くなりました。


正露丸ビオフェルミンもまったく効かず、下痢、発熱、悪寒、
と40時間ほど戦い、ようやく快方に向かいました。


海外でやってる日本のアニメを特集した番組の中で、
アニメ商品を扱っている外国人バイヤーの机の上に、
エヴァ缶を見つけたときには、それを飲んじゃダメだと念を送りました。


この話は、あまり他人にはしていなかったのですが、
このスレの内容を読むと、あまりにも軽率で無軌道なので、
警告の意味も含めて書きました。


皆さんも、布団の中心でアイを叫ばないようきをつけてください。
                                  2001/01/01


                  <缶>

しかし、チャレンジャーはいつの時代にもいるもの。

明け方近くに酷い嘔吐と下痢。
飲んだのは1/3程度だったのに。
トイレで唸ること数時間。


このままではやばいと思い、水分を口に含むが胃に到達した時点で胃液と共に逆戻り。
脱水症状を起こし手足が冷たくなり痺れ、感覚がなくなるのに反比例して、
熱が出てきたのか目の奥や耳朶が熱い。呼吸するのが辛い。
荒く吸いこんだ空気に酸素が入っていないような感覚。
だんだん目の前が真っ暗になり、体重を支えきれず、便座から転がり落ちる。


気がついたら、近所のかかり付けの個人病院。
俺と同じ趣味の姉が物音で目を覚まし、意識不明になった俺を発見したそうだ。
今日一日、ずっと点滴を打ってた。午後6時頃帰宅。


真似するなよ。
はー、これだけ打つのも疲れた・・。

マジでガクブルです。

親殺しのパラドックス

親殺しのパラドックス(過去で自分の親を殺したら、自分は生まれない)について、
それが不可能であることを延々と書きつづったのですが、
とうとう途中で頭がおかしくなりました(゜_。)
だから、最初の文章は破棄。
ちょっと頭を整理するつもりで新しく書くことにします。


過去に行くっていう行為だけで、既に世界は分岐してるんですよね。
つまり、山田くんが2005年から1960年に行くとすると、
山田くんのお父さんがヘルメットかぶって石投げてる時点で、
既にもう一つ別の世界ができていたことになります。


んで、2005年からやってきた山田くんが、1960年の父を殺すわけです。
そうすると、途端に山田くんは消えてしまうってことですが、
そういうのってあり得ないと思うんです。


つまり、父親を殺した世界以外の世界が存在しないって保証が、
どこにあるのかっていう。
「世界は分岐する」とか「無数の世界が存在する」とかいっていながら、
殺した時点で急に「世界は一つ」って考えになってしまう。
それはおかしいですよね。


「世界は一つ」であれば、過去へは行けません。
過去へ行けば、その途端に世界はそれ以上あることになってしまう。
反対に「世界は無数」であれば、過去へは行けます。
でも、この仮定でいけば過去で自分の親を殺したからといって本人が消えることはありえない。
整理すると、

  • 2005年の山田くんのいた世界
  • 1960年で父親を殺した世界

があるわけですけど、1960年で父親を殺してしまっても、その世界には山田くんはいるんです。
要するに、山田くんは1960年に分岐した別の世界に行ってるってことですよね。
そうでなければ、おかしい。
なぜなら、山田くんは1960年には存在していなかったから。
分岐して別の世界が用意されてるから時間移動できるわけで、
例え、過去の自分がいる世界でも、重複して存在できる理由はそれしかない。
つまり、時間移動した先が完全に別の世界だからです。


そう考えれば、どうして「親殺しのパラドックス」なんて起こるのかな、と。
別の世界に存在していた人間が、別の世界で親を殺して、
どうして両方の世界で存在しなかったことになってしまうのか分からない。
事実が跡形もなく消えてしまうことが何とも不思議。


現在っていうのは過去の積み重ねなわけです。
時間的には1960年は過去でも、
タイムマシンで出発する前の2005年の彼からすれば未来になる。
だとしたら、山田くんが消えることの方がおかしい。


例えば、山田くんが赤ん坊の頃、知らぬ間にタイムスリップしてるとします。
本人が気付かないうちに。
運良く誰かに拾われ、大切に育てられ20歳になりました。
さっそく免許を取って車を走らせてると、飛び出してきた子供を跳ねてしまいました。
小学生の男の子は即死でした。
ここで、その子供が山田くんの父親だったとすると、
山田くんは何も知らないまま消えてしまうわけです。
子供を跳ねて、その子供がアスファルトに頭部を強打した瞬間に。
本人にしてみれば、酷い話です。
運転手を失った車は慣性で走行を続け、
歩道を歩いてた人を次々と跳ねるなんてことになれば、もっと悲惨。
いまだかつて、そんな酷いSF小説は読んだことがありません。


だから、おかしいんじゃないか、と思います。
自覚ののあるなしに左右されるなんて考えられない。
だから、例え父親を殺しても山田くんは消えるはずがない。


つまり、1960年に父親を殺した山田くんが、そのままその世界で生きていけば、
父親の存在しない世界を生きられます。
しかし、そこで別の世界(2005年とか)に旅立ったとしても、
それは1960年に父親を殺した世界とは全く違う世界なのだから、
父親がいない(自分が存在しない)、とは考えられないんですよね。


タイムマシンっていう現象だけにとらわれすぎてると思うんです。
安易に一切を省略してしまう。
だから、わけのわからないことになる。
現在っていうのは過去の積み重ね、だと書きましたが、
そうすると、父親の存在しない世界には、彼は行くことができないのは当たり前です。
存在自体がポンポン動くなんてことは、普通に考えればありえない。


というと、タイムマシンだってポンポン動くじゃないか、
と考えるのこそ、先にも書いた「現象だけにとらわれすぎてる」ってことです。
山田くんは時を旅してるようで、彼の時間では”現在”は続いてるわけです。
だから、ポンポン動くわけでもなんでもありません。
1960年という世界で彼の”現在”を展開してるにすぎない。
基本は「もとの世界」なんです。
だから、もとの世界と同じような別の世界(分岐した世界)は変えられても、
もとの世界は変えられず、またその世界に一旦足を踏み入れたら、
その先のその世界の未来には決していけない。
これこそ「世界は無数」だという時間移動に絡む考え方の根本じゃないのかな、と思います。


2005年という時間には、もとの世界も含まれています。
だから、過去や未来からは、何も変わらないもとの世界に”も”戻れる。
しかしながら、過去や未来へは、分岐した世界の一つ”しか”いけない。


まとめると、「世界は一つではない」ということになれば
「世界は無数に存在」することになりますが、
それがどうしてタイムマシンの行き先を本人の意志によって
選択できるようになるのか、ということです。
父親を殺した未来、に行けば、自分は存在してませんけど、
そうではない世界はたくさんあるわけですから、直ちに消えるわけがない。
本人にとってみれば現在だし、帰ることができる世界がある以上は、
存在していて当たり前です。
運良くもとの世界に帰れても父親は生きているでしょうし、
それ以外の世界に行ってしまえば、そこでどうなってるかは分からないはずです。


世界は無数に存在していながら、運と偶然に頼って二種類の世界しか行き来しない。
二種類というのは、もといた世界と旅立つ先の世界、です。
でも、帰る場所は決まって旅立つ先の世界ですけれど、
未来や現在っていうのが過去の積み重ねである以上、それはあり得ないんじゃないか。
…と、まあ、IQ80前後の馬鹿が吠えてもどうしようもありませんし、
もともと考えが足らないから、こういうことを思考するのかもしれませんorz
やっぱり、混乱して分からなくなりました(苦笑)。


追伸:
私は「世界は一つ」派です。
でも、「世界は無数」あったら楽しそうだなぁ、とも思います。
そこで、根本的な疑問が一つあって、果たして山田くんは西暦794年に存在できるか、ということ。
同じように、山田くんは西暦2250年に存在できるか、ということ。
ある瞬間を現在としたら、その現在は過去の積み重ねですよね。
それを無視して、その世界に存在できるのだろうか、っていう。
オーパーツの類とは次元が全く違います。
時間の積み重ねがない生命体が、どうやって存在できるのだろう。
その方法をタイムスリップとか何とかいうみたいですけど、
過去のない者が、突然過去に存在し、過去を変えるって、それはどういうことなのだろう。
私が想像するには、少し大きすぎるので、時間をかけて考えてみます。